葛飾北斎について
葛飾北斎は江戸時代の浮世絵師。
冨嶽三十六景、富嶽百景が有名です。
北斎は生涯で93回もの引っ越しをしています。
なんでも、部屋が汚れると引っ越しをしていたそうです。
掃除する時間を惜しんで絵を描いていたのでしょうか?
北斎は画号(画家のペンネームのようなもの)も何度か変えています。
最後の画号は「画狂老人卍」といい、その名のときに長野県小布施町岩松院の天井に巨大な作品を残しています。
その巨大な作品とは、「八方睨み鳳凰図」です。
葛飾北斎は、世界の有名な画家にも影響を与えたと言われています。
世界一有名な日本人画家と言っても過言ではありません。
私は北国出身で、田舎の方言で「すごく冷たい」というのを「すごくしゃっけえ」と言います。
「ふがくひゃっけい」と「すごくしゃっけえ」がよく似ているので、冷たいものを触った時には、「富嶽百景、富嶽百景」と連呼するバカな子供でした。
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北斎と浮世絵
今でこそ浮世絵は芸術として広く認められていますが、北斎の時代に浮世絵はあまり評価されていなかったようです。
そのため多くの浮世絵が海外に流出してしまっています。
また、焼き物を輸出する際の包装用紙として浮世絵を使っていたという話も残っています。
有名な話ですが、海外に流出した浮世絵は当時の印象派に大きな影響を与えたと言われています。
外国人の知人に北斎の浮世絵のプリントされたカードや絵ハガキなどをプレゼントすると非常に喜んでくれます。
同じものを日本人にプレゼントしても反応がいまいちだったりして、嬉しいやら悲しいやら。
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北斎の娘「お栄」
北斎の三女「お栄」も画家でした。
江戸時代には女性の画家は少なかったようです。
お栄は絵の才能を受け継いでいたらしく、北斎の代筆を行っていたという話も残っています。
また、画家と結婚したが、夫の絵が下手だったので離婚したという逸話も残っています。
北斎がお栄のことを「おーい、おーい」と呼んでいたことから、お栄の画号は「応為」というそうです。
こんなことで画号を決めてしまうなんて、これも面白い話ですね。
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